blog,  写真日記,  展覧会,  記事

中村智道 作品”Ants”について

”蟻のような”から Ants へ

like ants
作品 蟻のような のメインイメージ

作品”Ants”について、書こうと思います。
というのも、おそらく、このコロナ禍の状況下で、会場で、この作品について誰かに語ることは、困難だと思ったからです。

まず、この作品は、昨年、キヤノン写真新世紀2019で発表した、作品「蟻のような」のイメージを踏襲したものです。ただ、個人的に、この作品で、ぼくにとっての世界観を描き切ったという感覚はなく、写真新世紀展に応募した後も、この作品の制作は続いていました。
まず、「蟻のような」に関して言えば、この”Ants”の入り口の一つと考えていただけると分かりやすいかもしれません。
“Ants”では、複数の焦点を用意しており、そこから、この世界に入るきっかけを作ろうと模索しています。その焦点の一つが、「蟻のような」ということになり、昨年、制作が間に合わず、提出できたなかった写真で、ぼくのパートを再構築しています。映像における”Tomomichi”のパートを見ていただくと分かりやすいかと思います。イメージとしては、近いものがあるかと思います。

そして、対にあるのが、パートナーである”Shiho”のパートで、これと”Tomomichi”のパートで、それぞれの人物の人生の断片を描いています。

そして、もう一つの焦点としての”All” これは、自分たち以外の”All”であり、鑑賞者である、あなたも含めての”All”であること。
これに入るための焦点として、社会の単位の一つ、教室の写真を置いています。

“Ants” 動画パートのクレジット

蟻を中央に置いての、古びたポートレートが並び、”Tomomichi”と”Shiho”、”Ant”そして、鑑賞者であるあなたを含めて、40人(39人と一匹)という構成となります。
現代社会において、学校というのは、この社会を学ぶ基礎になると思います。基本的には、クラスメイトは、自分の意志で選ぶことは出来ず、色々な個性が集まる場ということになります。
そして、ここで、社会における不都合や、不条理も学ぶことになるでしょう。
個人の能力の格差、そしていじめのような社会問題にも、まず遭遇することになると思います。その中で、如何に生きていくのか?を知らず知らずのうちに、学ぶことになるということです。
ここで、生存のノウハウを得た集団が、この一般社会を構築することになり、これが社会の基礎になるという所以と言えます。
そして、”Ant”つまり蟻が加わることによって、この世界を、自然界にまで押し広げるように試みています。

そもそも、社会というものそのものが、自然界の一部であって、階層の中の一部で、人間以前から引き継いだものであり、自然界の存在と切り離しての社会など有り得ないわけですが、人は何故か、それが別物だと考える傾向があるように思えます。

それぞれの人生の断片

ポートレートのネガ

当然の事ですが、ここにある全員の人生の断片を描くことは困難です。コロナ禍によって、それを行うことは、更に困難になりました。
そこで、その焦点としての”Tomomichi”と”Shiho”ということになります。
ぼく自身は、ぼくの人生の断片に、嘘があっては、この作品は成立しないという感覚があり、極力、この数年間を象徴する出来事を選んでいます。
ここから、多くの存在の断片があることを想像してもらうことを試みています。

美しい言葉 平坦な世界


現状としては、このように赤裸々に描くという事は、一般的には好まれなくなり、ぼく自身は、これを表現の後退だと思っています。おそらくは、新自由主義(ネオリベラリズム)による世界の支配が、これを加速させたのではないかと思っています。
ぼくたちは、知らず知らずのうちに、ある種の「表面的な美しい言葉」に支配されていて、その美しさに逆らうことが出来ず、それに従ったが、結果としては、この生きづらい世の中を形成していったのではないでしょうか?それによって平坦化した世界は、異なる個を攻撃することになってはいないでしょうか?昔いた、変わった人や面白い人たち、ちょっと変な個性的な人たちは、何処に行ったのでしょうか?
残念ながら、そういった世界は、この自然界をも破壊しているのかもしれません。
人の心も、自然界も、本当は多様性を失いつつあるのではないでしょうか?自分らしいとは何でしょうか?

広告の前を通り過ぎる電車

特に過激な表現があるわけではありませんが、ビジュアル的には、これを良しとは思わない人もいると思います。
この世界を、どこまで共感できるのか?ただ、この世界に入ることが出来た人には、少なくとも、ある種の深い共感を得られるよう、その点を努力する必要がありました。
まずは、世界の構築の時点で、この世界が複雑ながらも、分かりやすい必要がありました。
ぼく自身は、ある種の「美しい言葉」に支配されることなく、ぼくである必要があったと思います。そもそもは、自分らしいというのは、集団においては異質であり、気持ち悪いものなのかもしれません。そういった中で、「いじめ」のような事が起きるのかもしれません。
これは、自然界においてもしかりで、異質なものは、同族から嫌悪され、いじめられる傾向にあります。自然界の働きとして、異質な「ノイズ」というものは掻き消し、平坦にしようという働きがあります。ただ、この「ノイズ」こそが、自然界の多様さの維持と関係があります。この「ノイズ」は異質であることから、もしかしたら、その生物に進化をもたらすかもしれないということ。生物ではありませんが、地震というノイズが、この地球を平坦ではなく多様な地形を維持しているということ。
ただ、人間の場合は、ノイズの打ち消しを意図しすぎる事に問題があると思います。
まず、これを避けるには、それぞれの人の深い意味での共感力というものが必用になると思います。
少しばかり、長く生きている人は、良かった時代について思い出してほしいと思います。今よりも、皆、個性的で、おおらかで、寛容だった時代は無かったでしょうか?
その「ノイズ」のような人々は、この世界の豊かさのキーになる可能性はなかったでしょうか?

時間 階層

古びたポートレート

この作品で重要な要素として、時間というものがあります。
上のほうにある、ネガと、このプリントというものにも関係があります。
ある種、生まれてくる瞬間と、現在というものを表していて、ある所で時間の流れを遅くするという特徴が、写真にはあると思います。この人たちは、既に、これを撮影した時の、この人たちとは違うのかもしれません。
ぼく自身は、映像作家だったわけですが、写真の、この特徴に着目しています。
それを強調する演出が、映像にあるわけですが、これは、自分なりのアプローチで、展覧会終了後には、そのシーンも一部アップする予定です。
時間もまた、世界を構築する上で、非常に重要な役割を果たすということが分かるかもしれません。

絵画とフィルム写真による多重露光、そしてデジタルのレイヤーによって構成されたセルフポートレート 自己の精神的階層、時間も表そうとした


時間には、幾重も階層というものが存在しますが、この世界は、自然界においても幾重にも階層が存在します。これは、この作品を制作していく中で気が付いたことで、そもそもの自分は、画家からスタートしており、映像、写真と表現の領域を広げていきました。これらの表現は生まれた年代と手法に、様々な階層があって、当然ながら、映像→写真を制作する上で、それを意識することになりました。それは、表現としてのレイヤーとしても現れているのではないかと思っています。
映像を見ていただければ、その階層の表現が、もう一つ踏み込まれているのが分かるのではないかと思っています。

作品の中には幾重にも、手のようなものを表すものが登場します。これは何かを行使する力、意志、例えば、身構える、受け入れる、或いは抗う手等を表しています。

蟻のような存在

Ants 予告

蟻と人間という存在には、大きな差があると思われるかもしれませんが、この大きな世界を見た場合、それほど大きな差があるでしょうか?
蟻もまた、社会を持ち、階級を持ち、戦争もします。ある意味よく似た生き物が蟻で、彼らを儚いと思う人もいるかもしれませんが、写真群を見ていただければ分かるように、人間もまた儚い事がわかります。人は、それを見ないように生きていますが、誰しもが、無力感を感じる瞬間はあると思います。
抗うことが出来ない、巨大な力は存在し、今を謳歌しているように振舞っていても、何らかの時点でそれを実感しざるを得ない瞬間が来ます。代表的なものが「死」でしょうか?それは、自然界によって与えられた避けることが出来ない現実です。
その自然界に対して、人間は抗ってきました。蟻だって、人間に潰されそうになれば噛みついて抗ってきます。これもまた、自然界に抗う行為と言えるかもしれません。何故なら、人間もまた、自然界によってもたらされた存在で、進化以前の動物が持った性質を多く引き継いでいます。
ただ、その力が、現在大きくなりすぎたと思います。人間の中だけでもあまりにも大きな力の格差も存在し、正直、このまま、この世界が維持できるのか?というぐらい巨大な力を得たのではないかと思っています。
「良いことをやったわ~💛」的な、浅い意味での共感ではなく、深い意味での共感を持つ努力が必用なのではないかと思うようになっています。
あらゆるものの断片を感じ取り、共感する力。それを、表現するために幾重の階層を必要とました。それを潜ることで、表層の、一種の表面的気持ち悪さから共感に導くためにと言いましょうか?

この世界を、完全にコントロールしようとした時、この世界は崩壊するのではないかと思っています。「そんなはずはない」と言う方もいますが、そうでしょうか?結論としては人間の破壊行為によって、それよりも巨大な力で自然界は人間をねじ伏せる方向に動くのではないでしょうか?

真夏にマスクを着けて歩く女性


時代が進み、グレタさんのような若者が、この世界の危機を訴える事を、多くの人は馬鹿にしたかもしれません。耳を傾けるぐらいはあっても良いし、そういう存在がいても問題ないわけですが、排除の力は大きかったと感じています。そもそも、やましい事がなければ、子供の言葉に、それほどアレルギー反応を起こす必要があったでしょうか?その過程で、今回のようなコロナ禍のような出来事が起こり、自然界の人類に対する反作用のようなものは、連動して現れてきているように見えます。これから、そういう出来事が、もっと増えると感じている人もいて、限界を感じる人は、もっと増えるのかもしれませんが、それを掻き消そうとする力は、もっと大きくなるかもしれません。
前述したように、この世界での表現というものは、現在後退しているのではないかと思います。
重要なのは、この世界を表現する人たちは、世界がどうであれ、自分であり続けること。それが心の多様性にも繋がりますし、その表現の多様性を深い意味で共感出来る力が必用とされている時代に来ているのではないかと思っています。
例えば、蟻にも、ぼくたちと同じように生きてきた断片というものがあるのかもしれません。

感謝の意

この作品の制作のために、多くの人を振り回したのではないかと思っています。
まずは、闘病生活や制作を共にした、パートナーである、月影詩歩、そして撮影や制作サポートをしてくれた、川端浩平さん、そして川端路子さん、映画ではなく、写真作品に付き合っていただいた、岡山フィルムコミッションの妹尾さま、赤磐市の皆さま、エキストラの皆さま、何度も撮影の手伝いをしてくれた、NHKの赤坂拓哉さま、そして、キヤノンの皆さま。
この、コロナ禍の中、困難な仕事に付き合っていただいた、皆さまに、感謝の意を込めたいと思います。ありがとうございます。

この作品は、写真家としての、バックグランドが無いぼくが、「映画」の布陣で挑んだ作品です。協力者のほとんどは、映画関係や、学者で、写真作品はに関しては、独学というより、まだ学んでいない初心者であり、色々な意見があると思いますが、それでも、この作品は、深く、そして美しいと思っております。
コロナ禍の中、緊急事態宣言の直後、無理にご参加いただいた、エキストラの方々にも、参加して良かったと思えるような展開が出来ればと思っています。

写真新世紀2020は、10月17日~11月15日

キヤノン写真新世紀2020 チラシ

その間、10月22日には、ぼくのアーティストトークもあります。
もし、興味のある方がいましたら、要予約の上、是非お越しください。

キヤノン写真新世紀 グローバルサイト

キヤノン写真新世紀2020 中村の体調不良によるアーティストトーク中止について

先日、10/19日に、中村は、体調不良で倒れ、救急搬送されましたが、早めに回復すると思います。
ただ、数日間の安静が必要な事もあり、グランプリ個展 Ants のアーティストトークは断念する形となりました。

展覧会 Ants は続いておりますので、是非お越しください。

キヤノン写真新世紀 グローバルサイト 個展 Ants

作品の内容に関しては、こちらのトークも分かりやすいかと思います。

いわなびとん 写真新世紀グランプリ 中村智道さんとお喋り

記事

山陽新聞 2020年10月10日 記事

2017年ごろまでアニメーション等の映像作家 その過酷さから病気に倒れ、限界を感じた事から、その後写真作家に転身 イメージフォーラム・フェスティバル、バンクーバー国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画際、タンペレ映画祭、キヤノン写真新世紀 LensCulture 等で発表。 写真関連は、初の写真作品で、キヤノン写真新世紀2019年度グランプリ受賞。東京都写真美術館で個展、LensCulture Art Photography Awards 2022 LensCulture Emerging Talent Awards 2023 にて Jurors’ Picksなど NHK ドキュメント20min.「蟻(あり)と人間とぼく アーティスト・中村智道」で紹介される 尚、写真等の無断使用はお断りいたします。一言ご連絡ください。 お仕事のご相談など、気楽に、ご連絡ください。 e_mail:nakamura.tomomichi@gmail.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です