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新型機を現在買う意味

現実的に、写真を撮るカメラに関しては、6年ぐらい前に、これで十分、もう10年ぐらい買わなくて良いと思っていました。
それは、間違いなくハズレではなく、本当に買わなくても良かったのです。
過去からの写真を今一度見てみても、やっていることは、ほぼ変化がなくて、あくまでも自分の趣向で撮っているだけで、新型機があったからと言って、何かが変わるものではなかったわけです。

にもかかわらず、2016年には、2台のフルサイズ機と1代のフォビオン機を買ってしまいました。
その後どうなったかと言えば、正直2000ショットも撮らないわけで、実質高価で、すぐに値崩れする置物になってしまったわけです。

たぶん、今後3年ほども、それほど無茶苦茶撮るわけでもなく、しかも動体等、年に数回ぐらいしか撮らないわけで、画質的にも買い替える必用は無いわけです。

画質そのものはCMOSも安定してきて、それほど変化も見られなくなりましたし、写真を撮る程度ならば、新型機に何ら劣るところも無くなってきています。
新型機の画質は、ほとんど数年前のものと同じです。

レンズの描写力に関しては、ネット等にある、ベンチマーク等影響で、等倍鑑賞が一般的になってきていますが、もし普通に写真にするならば、それもほとんど数年前と変わることはないという感じで、最近は、特にレンズが大型化、高価格化していますが、作品を作るとして、本当に開放の絵が必用なのか?と考えてしまいます。

何故、こんなことを、わざわざ書くかと言いますと、メーカーが、あの手この手で誘惑してくるということがあります。
そんなものは、見なければ関係無いわけですが、なんとなく見てしまいます。
そこで、ほとんど自分の画風には影響が無いと分かっていながらも、「いや、何か違うかもしれない」と思ってしまうわけです。

例えば、現在の、α7の三世代モデルに関して言えば、劇的にAFが良くなっているわけですが、自分の使いかたを考えれば、ほぼ必用の無いものです。
画質に関しては、RAWで出すならば似たようなものですし、そんなことよりも、何を撮るかのほうが重要なわけで、その重要なものを探すほどの体力も失っているわけで、今の自分に生かせる要素というものもないわけです。

というわけで、今後数年は、カメラを買わないことにしました。
少なくとも、グローバルシャッターが標準化されるぐらいまでは、新型は必要に無いはずです。
グローバルシャッターに関して言えば、ある種の到達点で、いわゆるシャッター回数を気にしなくて済むようになるわけで、これが安定したころに、カメラを購入するならば、それ以降、ますます新しいカメラを買う必要はなくなるわけです。

冷静に考えれば、カメラなんて、壊れるまで使い倒せば良いわけで、壊れたら考えたらいいという程度のものなのかもしれませんね。
とりあえず、誘惑に負けないように、何年か踏ん張ってみる予定です。

ちなみに、見出し画像のザリガニは、オリンパスのE-10という20世紀のデジカメで撮った写真です。

2017年ごろまでアニメーション等の映像作家 その過酷さから病気に倒れ、限界を感じた事から、その後写真作家に転身 イメージフォーラム・フェスティバル、バンクーバー国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画際、タンペレ映画祭、キヤノン写真新世紀 LensCulture 等で発表。 写真関連は、初の写真作品で、キヤノン写真新世紀2019年度グランプリ受賞。東京都写真美術館で個展、LensCulture Art Photography Awards 2022 LensCulture Emerging Talent Awards 2023 にて Jurors’ Picksなど NHK ドキュメント20min.「蟻(あり)と人間とぼく アーティスト・中村智道」で紹介される 尚、写真等の無断使用はお断りいたします。一言ご連絡ください。 お仕事のご相談など、気楽に、ご連絡ください。 e_mail:nakamura.tomomichi@gmail.com

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