blog,  写真日記

ASD(自閉症スペクトラムと)と表現

昨年のぼくは、かなりの覚悟をもって、新しい分野に飛び込んでいたようです。 たまたま、キヤノン写真新世紀を見つけたにせよ、明らかに必勝体制で挑んでいました。備忘録を見なければ、それをもう覚えていませんが。。

ASDである自分から見える表現の世界

LGBTとかのマイノリティに関しての開放の動きは盛んで、一般社会における地位的な平等のようなことはよく言われるものの、ASDに関しては、行き着く先は、アウトサイダー的なもの。。一見開放のようにも見える隔離が待っている。その世界の中では、平等のように、皆才能があるように扱われるものの、外の世界とは明確に隔離されたものであり、最終的に目立つのは主催者であることが多いという現実。光が当たるのが誰なのか?は、明確だ。理由は簡単だろう、それは、その主催者となる人物がインサイダー側の人間であり、つまり一般社会、隔離の外の世界の人物だからと言えると思う。それは、社会貢献として外の世界で脚光を浴びるだろう。 そして、それはArtというものが、Artの名を借りての、ある種の生存戦略のようにも思える。
それは、社会福祉のためであり、地域貢献であり、ASDの解放であり・・・大儀の元、その長である人物と、その下にいる複数の人々、形成上不可欠であるASD等の集団によって、ヒエラルキーが形成される。
逆に言えば、このような大儀が無ければ、Artの存続は、日本という社会においては、もはや危ういのかもしれない。
おそらく、現代という時代は、それが更に進んでいて、例えば過去の印象派とか、それ以降の時代、メインストリームとしてASD等が活躍した時代とは、明らかに異なると思う。 それに対する反発が、作品の原動力にもなっていたのかもしれない。

今後の事を考えると、この崩壊しかけている体と対面する必要がある。今のように活動することは、その後の破滅に明らかに繋がるのは分かる。 どうするべきなのか。
今後、気がついたことがあれば、このページに書いていこうかと思います。

関連

タイムリミット 自閉症スぺクトラムとぼく 生存をかけて

本来、映像作家で、アニメーションなどを作っているはずでしたが、あまりのしんどさから体調崩して病気になり、とてもじゃないけど、アニメーションなど作れない状態に陥り、現実逃避から、流れに流されて写真などを撮ってストレス発散している次第であります。 基本的にテーマなどなく、その日の気分で撮った写真とかをアップしたり、たま~に日の目を見なさそうなマイナー機材や、既に終わっている機材をレビューしたりしていきます。 昭和シェル石油現代美術賞、イメージフォーラム・フェスティバル、バンクーバー国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画際、タンペレ映画祭、ポンピドゥーセンター、ソフィア王妃芸術センター、キヤノン写真新世紀 等で発表。 写真関連は、初の写真作品で、キヤノン写真新世紀2019年度グランプリ受賞。 どこまで流されるのか・・目的地は不明。- お仕事のご相談など、気楽に、ご連絡ください。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です