「浦人」撮影 岡山県現代舞踊連盟によるダンスパフォーマンス
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演出・振付・出演/稲尾 芳文氏による能をベースにしたダンスパフォーマンス
これまで、仕事に関する記事を書いてこなかったが、たまにはアップしようと思う。というのも日ごろお世話になっている、会長をKAZUMIダンススタジオの間野和美(KAZUMI)さんがつとめる岡山県現代舞踊連盟に関する活動を紹介したいというのもある。
ぼく自身は、10年ほど前だったか、あるきっかけで、現代舞踊(コンテンポラリーダンス)というものの撮影に関わることになった。当時は、映像の撮影を主に頼まれていたわけだが、たまたま写真を撮影する人がいなかった事から、写真も撮ろうか?と尋ねたことがきっかけである。当時は、明らかにこういった写真撮影に対応できるカメラは持っていなかったが、意外にも上手く撮れた。それが最初である。
笹の棒のようなもの(武器とも笹ともとれる)を渡されることで、話が大きく動く
さて、「浦人」の話に戻るが、ぼくは撮影する側であり、全体を通して鑑賞するという形はとれていない。ただ、それをできなかったとしても、非常に躍動感のあるもので、撮影は簡単ではないが、こちらのテンションも上がるというものだった。会場は、岡山市の能楽堂ホールとなる。
この「浦人」は、能「藤戸」をベースとしたパフォーマンスとの事だ。ぼくは、「藤戸」を知っているわけではないが、なんとなく、その中にある哲学のようなものを感じないわけではない。
黒い衣装の女性が渡されている棒のようなものだが、稲尾さん(右)がこれを人々に渡すことで話が大きく動いていく。
【源平合戦時に、源氏方武将、佐々木盛綱が漁師から干潮時に馬が渡れる浅瀬ができる場所と日時を聞き出すのだが、彼はこの情報を敵にも味方にも知られたくなかったため、漁師を殺害して海に沈めてしまう。漁師は亡霊となり、恨みを晴らそうとしていたのだが・・】
という話だが、そうなると、演じる女性は盛綱ということになるのだろうか。
コンテンポラリーダンスならではの躍動的なダンス
ダンスは、大人数で非常に躍動感のあるもので、お客さんも目を離せない展開で動く。ここに写っている演者たちは、殺害された漁師の亡霊を演じていることになると思う。それだけに、単純に明るいというものではなく、細かな動きから色々な事を想像することができる。
人物の関係性は、盛綱と漁師とその母という関係になる。一人だけ服の色の違う女性がいると思うが、それが、殺害された漁師の母ということになる。母親は、佐々木と聞けば笹まで憎いと、この山に生ええていた笹を抜いてしまったという話もあるそうで、このシーンはそれを表したものだと思われる。漁師の服を着た出演者たちは、目まぐるしく演じる事を変えながら動いていく。
回向と救済
稲尾さんは、戦いの影で理不尽に失われる命と、それに関わる者たちの救済を伝えたく創作したとの事だ。
ここで祈りのような動きが見られるが、回向を表したものだ。稲尾さんは、事の全容を見届ける者として幾度か現れる。
おそらくは、ここで演者たちが持っている棒は、笹であったり武器であったり、人間の業のようなものを表していると感じた。回向により成仏した亡霊たちやすべての登場者はそれを手放すことになる。ここで演じられるダンスは、能の要素をふんだんに取り入れている。
人の業
すべての演者が、笹の棒を置いて去っていく中で、一人だけが、その様子を見ながら、笹の棒を奪って去っていく。この部分には、深みのある哲学的な要素を感じる事ができる。
このダンスパフォーマンスの中で、多くは恨みや憎しみや悲しみのような業を置いて去るわけだが、一人だけがそれを抜け駆けして手放さない様子は、この世で「戦いの影で理不尽に失われる命」がその後も絶えない事を示唆している。
感想
ぼく自身、鑑賞者として観ることはできなかったため、ファインダー越しに見た世界についての感想を述べている。
まだ観たことがない人は、面白いので、コンテンポラリーダンスを観る事をおすすめする。ぼくは写真を撮っているが、全体像をそれで伝える事は不可能だ。何故ならば、実際には空間があり、動きがあり、音響もある。照明もめまぐるしく変化する。こればかりは、実際に観てみないとなかなか伝わらないものがある。ぼく自身がファインダー越しに観たとは言っても、少なくとも会場の雰囲気は理解することができる。
ダンスそのものは、演劇の要素もあるが、演劇そのものではなく、その動作に隠喩のようなものが見られ、演者が必ずしも登場人物のみを演じるわけではない。それを洞察することもまた楽しみの一つであり、観終わった後も、あれは何だったのだろう?と想像をはりめぐらせることができる。
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