スナップ 2021/09/17
ここ最近体調不良で、まともに歩くことができず。
左手の痺れが気になる日々。
暇つぶしに写真論の本を初めて読んでみているが、あまり面白くない。断定句が多く、決めつけが多いので退屈だ。あまり、物事を考えていくような、脳を活性させるようなものではない。
現代の社会における表現というものは、新自由主義をベースにしすぎていると思う。それ自体は終わりを迎えると思うが、それに固執する表現者の多い事。その考えが、新自由主義の後押しをしてきたことは間違いのない事だが、過去の過ちというものは、認めて修正していく事で、社会は改善してきた。少なくとも中世のような生きにくい時代ではないが、まだ良いとも言えない。
ぼくは、その件に関しては、随分と苦労してきたので、言う資格はあると思う。
主に新自由主義の影響と思える点としては、不自然なまでのポジティブ思考などだろう。つまるところ、そうなれば、この社会には改善の余地は無いのだ。問題のないものを修正する必要があるだろうか?問題があるとすれば、おまえ自身の問題であり、社会そのものに悪い点は無いという雰囲気を醸し出している。まぁ、自己責任論というやつだ。しかし、世の中は事実存在する問題点であるネガティブな面を避けたがる。おそらくは、それを見たくない面々のモンスター的意見によるところもあるだろうが、長い目で見れば、それは良い事にはならない。ポジティブであったり、ほんわかしているものであっても、それは果たして倫理的に良い効果があると言えるだろうか?
2010年代以降からの、「日本すごい!」的思考によって、日本の社会がどれほど劣化したことか?
やろうとしたことといえば、歴史を見て、問題いを修正していくのではなく、歴史を修正して、それをポジティブな物に変換しようとしたこと。それが、劣化の元凶と言わずして何というのだろうか?PCですら、問題のあるプログラムを修正している。それが終われば、そのPCの安全性は終わりなわけだ。
怠けた人間或いは動物が後に報いを受けるような逸話は多くあるが、それを素で実践しているのが今の社会だろう。