長島愛生園付近
目次
ぼくと長島の関係
三年ほど前、長島には、何度か行ったのですが、その後病気で倒れたため、行っていませんでした。
その、三年から以前は、ここの撮影に関しては、あくまでも資料で、その後に、写真による作品を作るようになるとは、夢にも思っていませんでした。
ただ、作品としての写真を撮るようになってから、再び撮る必要を感じる箇所が何か所かあります。その中の一つは、この長島でしょうか?
ただ、多くの人は、その時よりも、更に年をとってしまって、よく話をしていたおばあさんのいた家は閉じられていました。
そして、現在はコロナ禍の状態ですし、無理に人と会うわけにもいかないのが現状です。
4男ほど前、ここの取材をするにあたり、もらった本です。
ゆいの会のメンバーである、疋田邦男さんからいただきました。
ハンセン病に関しての、色々な歴史について書かれてあります。ここでは、長くなりますので、何か知りたい方がいましたら、調べてみてください。今でも資料はあると思います。
ぼくは、作品制作をするときは、少々強引なところがあって、その反対意見に対して、真向から戦うところがあります。意識の中では、そういう事に使う時間が惜しいとか、やると言った事は絶対にやるといった性格があるからですが、その時、真っ先に対立することになったのが疋田さんでした。
ただ、ぼく自身は、その反対意見に関しても、もっともだと感じる事もあって、それほど嫌な思いはしてませんでした。
ただ、一度対立した事もあって、相手としては良い気分ではないだろうとも思っていました。
結局のところ、色々と話した後、最もぼくの仕事を評価してくれたのが疋田さんでした。
収容所(回春寮)撮影と写真新世紀の関係
ここは、許可をもらって撮影した場所です。実際の仕事は、ドキュメンタリー映像の証言シーンを撮影することで、写真撮影ではありませんでしたが、動画用の照明を設置していたこともあって、それなりに撮れています。
一応、資料のスチルとして、何枚か残していました。
実際に、今、作品として撮るならば、このような形では撮らないでしょうが、これはこれで、良く撮れていると思います。いざ、仕事になると、一見関係の無さそうなことも、けっこう真面目にやったりもします。
その段階では資料でしたが、その後倒れる事になり、ぼくは、作品の断片を探すことになりました。
資料として撮った写真のうちの何枚かは優れていたため、作品として転用、これは、その中の一枚です。
この写真は、、キヤノン写真新世紀に出品するための作品の一枚として選びました。その時の、自分の状況と重なるような気がしたからです。少し前、ぼくは、精神病院の独房に入りました。自殺をさせないための措置でした。
この収容所そのものは、ハンセン病患者が島に渡って来たときに、収容する施設だったそうです。
上の収容所の落書きの一部分を撮影したもの。陰影と合わせて、構成を考えていたようです。陰影が強すぎないのは、SIGMA SD Quattro H のSFDモードで撮影したためです。ものすごくハイダイナミックレンジで撮っていて、最初から作品化するために撮ったのか?というぐらい念入りに撮られています。動画用照明を使っていた事もあります。
この写真も、キヤノン写真新世紀で、グランプリを受賞した作品、「蟻のような」に収録されたものです。要は、これも、作品制作以前に撮影したものの一つです。
入院時、ほとんど絵を描く能力も失ってはいましたが、グニャグニャと何か描いたりしていました。
久々の長島
三年ぶりの長島です。
なんと言いますか、この島は癒されるのです。歴史的経緯はどうであれ、人間が普通に活動している領域と、手つかずで管理されていない所が同時に存在する不思議な場所です。時間の感覚が、自分が住んでいるところと異なり、落ち着くわけです。
そもそも、以前来た後、倒れたのは、極度の鬱病と自律神経のコントロールを失ったことによる脱水症状が原因でしたが、最近、その時の症状が、なんとなく復活してきたのです。何とかしようと思うわけですが、いつも時間に追われ、何も出来ず・・とりあえず、色々な物事を置いておくという意味でも、何か考える必要がありました。
ただ、頭をクリーンにするだけの事ですが・・
もちろん、完全なうつ病になれば、このように記録することも出来なくなります。
この日は、非常に風が強く普通には撮影できないような日でした。
この島が、ハンセン病患者を隔離する島として機能し始めた場所と言いますか、ここから始まったと言いますか、そういう歴史的経緯を持つ桟橋ということになるでしょうか?
ぼくの記憶は、あまり当てにならないので、あまり信用せず調べてみてください。
以前来たときよりも、何か波打ってきているような気がしなくもありません。
風化して消えることになるのでしょうか?
収容所の近くにある桟橋で、ここから収容所にハンセン病患者が運ばれた場所です。
ここも、以前来たときよりも荒廃が進んでいるような気がします。毎年撮影して、変化を見ても良いかもしれません。
今の、コロナ禍の状況でなければ、もう少し大がかりに撮りたいものですが、今はなかなか難しそうです。
そもそも、信用がなければ、この島を細かく撮っていくことなど、出来るものでもないわけです。
以前は、仕事の都合上、たまたま撮れただけなわけです。
使ってなさそうな船、この海岸は、人があまり歩かないせいか、他の海岸ではあまり見られない植生があります。そういえば、本州側の海岸には、このような感じで何かが生えている感じは無いような気がします。もちろん、人が入れない場所は同じような感じなのかもしれませんが、管理されていない場所は、色々と異なります。
ここには、ベンチがありますので、しばらく座ってぼーっとしておりました。あとは、のんびり撮影。
ただ、この日は、とても風が強く、正直暴風と言っても良い感じで、雨も降ってきたので、長くはいられませんでした。
もう少しいたかったのですが、仕方なく帰る事に・・
異なる時間の流れ
なんというか、この島は何故か癒されるのです。色々と、歴史的には、問題のある島ではありますが、管理されている部分と管理されていない部分、あと、独特の文化があって、いわゆる、自分が住んでいるような場所とは、多くの意味で異なるわけです。ある程度、敏感な方ならば、入った瞬間に、何かが違うということに気が付かれるのではないでしょうか?ここにゴミを捨てる人は、極めて少ないわけですが、数年前にあったものが、そのままあったり、動物の骨が、そのままあったり、ただ経年劣化はしていく感じ。人はいるものの、時間の流れは異なります。
動物の骨とかも、普通に見かける事が出来ます。
ここで死んだのか、死体が流れ着いたのか?
自分が出来ることは少ない。
また時間が出来たら行こうと思います。