blog,  思想、哲学

テーマとコンセプト

ぼくは、作品においてはテーマというものは明確に決めてとりかかるものの、コンセプトというものに関しては、当初からはあまり考えるような事はしていない。というのも、それはイレギュラー的なものが発生しにくい考え方からだからと言える。コンセプトを聞かれる事があるが、それは作品制作終了後に、後付けで考える事が多い。つまるところ、当初からそれは無いわけで、社会の慣例としてそれを述べているのにすぎない。当初から無いコンセプトをコンセプトと呼ぶのか?と聞かれれば、それは無いのではないか?と思える。
ぼくがテーマ(主題)というものを前提に制作するのには意味がある。それに従い動く場合においては、作風のブレのようなものが生じる事に関しても、比較的柔軟に対応できるということになる。イレギュラーな、想定しなかった事も起こりうるわけで、それが主題に合っていれば、作品の中に取り込めるのである。
コンセプト(概念、発送、構想など)になると、色々と難しい点もある。合理的ではあるが、けっこう固い考え方なのだ。ぼくは、日本人なので、そもそも馴染みにくい考え方だとも言える。この考え方だと、例えば組み写真を行う場合、それは一人歩きしにくく、それぞれのビジュアルが似てしまうという感じで、哲学的な意味での遊びの部分を持たせにくい感じがする。
そもそも、ぼくの作品に、フィクションとノンフィクション、ファンタジーが同時に含まれるのは、テーマ(主題)に重きを置いているからで、それに従うのであれば、あれゆるビジュアルの混在が可能になるということだ。
ある程度撮りためたものを主題のもとに編成することも可能だ。そこに足りない要素があれば、そこだけ確実に撮れば良いのだ。足りないと分かっているものに関して言えば、その像に関しては、試す必要も無く、何をどのように撮れば良いのかすぐに分かるというものだ。最初から、撮る像というものは見えているということだ。

本来、映像作家で、アニメーションなどを作っているはずでしたが、あまりのしんどさから体調崩して病気になり、とてもじゃないけど、アニメーションなど作れない状態に陥り、現実逃避から、流れに流されて写真などを撮ってストレス発散している次第であります。 基本的にテーマなどなく、その日の気分で撮った写真とかをアップしたり、たま~に日の目を見なさそうなマイナー機材や、既に終わっている機材をレビューしたりしていきます。 イメージフォーラム・フェスティバル、バンクーバー国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画際、タンペレ映画祭、ポンピドゥーセンター、ソフィア王妃芸術センター、キヤノン写真新世紀 LensCulture 等で発表。 写真関連は、初の写真作品で、キヤノン写真新世紀2019年度グランプリ受賞。東京都写真美術館で個展、LensCulture Art Photography Awards 2022にて Jurors’ Picksなど NHK ドキュメント20min.「蟻(あり)と人間とぼく アーティスト・中村智道」で紹介される どこまで流されるのか・・目的地は不明。 自閉症スペクトラム障害・障害2級  尚、写真等の無断使用はお断りいたします。一言ご連絡ください。 お仕事のご相談など、気楽に、ご連絡ください。 e_mail:696969bara@gmail.com(マネージャー月影)

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