精神的にきついこともあれば
ここ最近、ネットで、コトさんとよく話をする。単純な話だが、話しやすいし、ストレスが無いからそうしている。変にへりくだった態度をとられるのも嫌だし、やたらと上から目線というのも疲れるものだが、それはなくて対等だから疲れない。コトさんと言われても、ここを読む人はよく分からないだろうが、写真を撮っている人だ。
ここ最近、写真を撮るのが嫌で、正直まともに撮っていない。色々な出来事が重なって、嫌になっている。そういえば、写真そのものが特別好きだったわけでもなく、成り行き上始めたものだ。その成り行き上の話をできる相手はなかなかいなかったりする。そういう事が気に食わない人も多いだろう。
ぼくが写真を始め、今何とか続けている理由を言えば、ぼくがASDであることと深く関係があると思う。ぼくはASDのため、ほとんど得意なものがなくて、気がつけば絵を描いていた。それは、他の人よりも、少しマシなものだった。描き始めれば、長時間描くこともできた。描くことそのものは面倒で、それほど好きではなかったが、それでも自分にもできる事があると思って描いていた。
やがて見えてくる社会の構造。ぼくは人間関係を作ることが苦手だ。実のところ小学校から続いている人間関係は無い。最も長いのは、34歳ぐらいからだろうか?たぶん、ぼくは異様なのだ。人の態度でなんとなく分かる。そして、ぼくの精神は、幼いままだ。
ぼくは、他人の言う事を、安易に善意と受け取る傾向があった。ある人物に制作をつづけるためのアドバイスとして、公募展には出さない事というのがあった。ある程度著名な人だし、そうだろうと思っていたが、それによって人間関係というものはより狭くなってしまった。当然ながら同じようなことをやっている人と新たに出会えない。その後、ぼくにアドバイスをした人物が、公募展の審査員をやっていることを知った。同時に、諸々の嫌なことを思い出したことと、環境的に絵を描くことができなくなったことから、絵を描くことをやめた。ぼくは、純粋に、絵を描くにあたって「敵」と定めていたことがあった。それが写真だった。遠近法の権化のような存在だ。諸収差を無くし、如何に遠近法に近づけるか?が今でもカメラの課題でもある。その、ものの見え方の決めつけを嫌っていた。
ぼくは、絵を描くことで成立させることができる他のジャンルであるアニメーションの制作を始める事になった。
そのアニメーションは、体力のないぼくの体を蝕んだ。2018年に入院することになり、ぼくの活動は終わった。その後も回復しなかったからだ。そこにいた人たちは、それまで関わった世界の人たちから見ると、とても暖かった。続けたいが、まったく持続ができない。そこで、成り行き上始めたのが写真表現だったりする。かつての「敵」だったことから、その性質をある程度は理解していた。もう一つあるのは、恩義のある映像の文脈をそこに持ち込むことだった。そこで生まれた作品が「蟻のような」だ。本当は、アニメーションで制作されるはずだったものだ。まったく性質の違うものだが、相性が悪いとは思わなかった。ぼくが思ったのは、連続性から同時性への転換というものだった。
このような感じの話をよくコトさんとしている。ぼくが伝えられることは、他のジャンルから見たらこう見えるとか、時代的に他のジャンルでも同じような現象が起こっていること、そして一方では終わり、一方では続いている事、色々と話をしている。コトさんのほうは、色々な写真の出来事や人物をぼくに教えてくれている。
話といえば、発達障害や精神障害における苦労話もそうだろう。ぼくは、しょっちゅう落ち込んでいて、鬱々としている。「もう写真やめたい」という感じの話も多い。その狭さから、人間関係も大変そうだ。そう、やめても良いのだ。ぼくが怖れているのは、自分には他に取り柄が無いという部分が大きいから、それができないでいる。
偉そうに言うならば、ぼくは他の人がそのような状況にあって、好きでもないものを続けている事を否定しない。誰だってそうだろう?仕事、社会行事、その他、誰もが普通にできること。ただし、それが好きで続けているとは限らない。できるからやっている。
今日は、早朝にコトさんと話をしたが、「そうだ、これから何とか写真を撮ってみようか?」という話になった。新たに入れた、二つのレンズがあるので、試しに出てみるのも良いだろう。
この二つの古いレンズは、実によく写る。いずれはレビューでもしてみたいほど良い。ここにアップした写真は、それらで今朝撮ったものだ。