新しいマイノリティー
あまりにやることが多くて、一月半前の出来事の確認ができていない。
何をやったのかというと、ある在日一家でラップのワークショップの撮影と、その家族のインタビュー。
インタビューしたのは、作品の構築のためでもある。テーマは在日という、ある種よく見られるテーマではなく、ぼく自身から見た、新たなマイノリティーのかたちというか、何らかのものを見いだすための行為のようなものだ。
「新しいマイノリティー」というテーマで作品を作っている。「在日」や「障害者」という、ある種の制度的なものを超えて、何か考える事はできないのだろうか?という言わば、そもそも「言語」の学習障害を持ったぼくが、「言語」以外の感覚で考えていた思考。それは「言語」によって構築された「制度」を乗り越える事ができるものではないのか?
ぼくの経験談から言うと、例えば「LGBTQ」このイベントに参加して感じた事を言えば、ぼくは部外者でありマイノリティーである事を強く感じた。その「制度」の枠組みにおいては、彼、彼女らはマジョリティーなのだ。分かるだろうか?それは、おそらく、他の枠組みにおいても同義だったりすると思う。ただ、それは集団での話である。個人であればどうだっただろう?
そうして、何らかの緩やかな繋がりによって生まれるコミュニティーのようなものは、「新しいマイノリティー」として、新たな価値として、何らかの役割を果たせるのではないか?と思う今年の夏だった。