表現に幻想を抱けなくなった
表現というものに幻想を抱けなくなってから久しい。
まず最初に思う事だが、どのジャンルに参加するにせよ、オタクイズムが横行していて、それが新参者を拒むという現象を見てきた。彼らの決め台詞のようなものがあるが、「◯◯は、こうあるべき」というものを聞く。そして、その決め事の範囲から動くことができず、自滅する様子を何度も見てきた。なぜ、「こうあるべき」なのかは簡単だ。要は、そこの村人は変化を恐れているのだ。
すべてのジャンルは、マニアが潰すというが、それは、そこの村人が決めた戒律によるもので、基本的には新しいものは受け入れない。そのため、水は淀み腐敗するのだ。
もう一つ、彼らの言う「新しい」は、偽りだといえる。見るからに、コピーのコピーにすぎず、いわゆる生物が、延々とクローンを作るような状況に近い。だから、初見にして古かったりもする。そもそも変化を恐れているものが、「新しい」などということができるだろうか?
基本的に言える事だが、あらゆるジャンルは、新参者を拒むべきではないが、村人のように、新参者を拒む。ここまで書けば思い当たる人もいるだろうが、多くの村人は排除行動を行うのだ。それが強いか弱いかはさておき、可能性というものに対してNOを突き付ける。
物事というものは、あらゆる角度から見るべきで、それが足りないということはない。ただ、残念なことに、マニアの視野というものは狭い。
それでも、言うべきことはあるが、マニアたちが、本当に、そのジャンルを大切だと思うのならば、新参者を拒むべきではないということだ。