ぼくが生きる口実
ぼくにとっての作品というものは、今は生きる口実だったりする。
べつに、苦痛が無いのならば、死んでもかまわないと思っているが、生への執着として自己価値を体現するものとしての作品というものを思い描いている。
だから、正確には、作品は作らなくて良くなる状態が一番良いのだ。
ぼく自身の自己評価は低く、それを覆したい一心で作品を作ってきたのだから、作品媒体そのものは、何でも良かったのだ。
ぼく自身が、何故社会に適応出来なかったかの回答として、検査の結果、重い学習障害を持った自閉症スペクトラム障害というのがあった。そういうカラクリがあったのかと、過去の出来事を納得しようとした。それから二年後、ぼくはうつ病と、その合併症による脱水症状で瀕死となり、入院することになった。脱水症状とうつ病の併発というものが、あれほど恐ろしい苦しみを味合わせるものなのかと初めて知った出来事ではあるが、そのダメージから、映像制作を断念した。それが出来ない事は、あまり苦痛とも思わなかったが、思考回路そのものを奪ううつ病というものは苦痛でしかなく、それどころか、この世の醜さをこれでもかと認識させられるものだった。幸せフィルターのようなバイアスがかかってくれないのだ。不幸というものを防御するすべを脳が失っているのだ。
不幸というものに関して、脳は通常防御しており、客観的なものとして捉え、それ故、ある種他人事として作品を描いているのだと気がつかされる。自分の事だとしても他人事なのだ。そういう防御があるから、人は正気のような気分で生きていられるのだ。
ぼくにとっての写真作品というものは、病気と密接に関わりのあるものだ。それを作り出してからというもの、健康な状態というのが無いのだ。
作品を作る状態が、ぼくが社会から追い込まれた事によってだとしたら、あらゆる現象によって、作品のスタイルというものは変わってくる。そのスタイルが不可能になれば、他のスタイルを探す必要があるのだ。
ぼくの映像スタイルというものはアニメーションだったから、脳の体力の消失は、それを不可能にするものだ。延々と絵を描く事は無理なのだ。
だから、瞬間的に「絵」を撮れる写真というスタイルを選択することになった。
おそらくは、そういう追い込まれ方をして、写真に行き着いた人は少ないのではないだろうか?ぼく以外の写真家に関して言えば、ある程度は、写真論や写真史、写真家を知っているのであり、写真の何かに惹かれて始めたというケースは多いはずだ。或いは、絵画などの才能が見出されないが何らかの形で表現活動をしたい事から、写真に行った人もいるかもしれない。病気が原因で写真というのは、珍しい例ではないだろうか?
ぼくという人間の経緯を知らない人からすれば、それはけしからんという要素は多いのかもしれない。しかし、自分という人間の歴史というものを考えれば正当な成り行きなのだ。
ぼくの写真?作品というものは、ぼくの作家としての歴史を考えると、デジタルアニメーションの技法を強く踏襲したものだ。特にだが、アニメーション制作では、After Effects などの、無制限にレイヤーを扱える、映像編集ソフトというものが重要になってくる。それは、Affinity Photo 等の画像処理ソフトに、感覚としては近いものだ。これを使うことに違和感は無かったりする。
ぼくが、作品において重視しているのは、おそらくメディアではないのだろうと最近気がついている。社会における、ぼくの立ち位置を考えたとき思うのは、自然に実在論的な世界に追い込まれている事だろう。
ぼくというものが何なのかという疑問は、自閉症スペクトラム障害というものを考えてみても、必然的にそうなってくるのだ。そうやって流れてきた結果、今の作品に行き着いている。
重要なのはそこなのだから、体力さえあれば、映像制作でも作品の実現は可能なのだ。最近は、再び映像制作をしたいと思う気持ちも強い。単純に、昔の恩師に会ったことによるノスタルジーなのかもしれないが。
作品というものは、追ったものではなく、流れ着いたものなのだ。
追ったものがあるとすれば、それは生きる口実なのだろうと思う。そして、多くが生きる口実を失いつつある時代においては、それは意味のある事だと思いたい。