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蟻と人間とぼく NHKの取材の回想

ヤドカリの家 メイン写真

ドキュメント20min.「蟻(あり)と人間とぼく アーティスト・中村智道」
この番組がなんとなく決まりそうだったのは、今年の3月の話。前年、ぼくは「ヤドカリの家」という作品を制作したが、制作は3カ月と短めだった。この時、ぼくは暖めていた作品をコロナ禍で制作できずにいた。ぼくは、精神病院に入院したが、そこで色々と考えにふけり、現状可能な作品としてのヤドカリの家だった。これは、映像作品「ぼくのまち」のリアル版とでも言おうか、ぼくの哲学のようなものを作品化したものだ。当然ながら、既に消化した作品でもあり、こなれていると思う。ぼくの中には、常に新しいものへのチャレンジというものがあって、過去は捨てるものという意識がどこかにあったが、歳をとったのか、そういうものを見直すようになっていた。
実は、今回の番組を制作した、NHKのディレクターのAさんとのやりとりは、この間も行われていて、「ヤドカリの家」のレンズカルチャーでの審査員賞の件に関しても喜んでくれていた。写真作品としては、一応ここまで無傷での受賞なのかもしれないが、どこか物足りなさを感じていた。この作品そのものの完成度は、おそらくは「蟻のような」よりも高いと思う。ただ、それは狭い世界から見ての話だ。
たぶんだが、ぼくは、春になったら、”Ants+”の制作を開始するという話もしていたと思うが、3月だったか4月の上旬だったかに、Aさんから、番組の企画が通ったという連絡があった。
この話があったこともあり、ひとまず、ぼくの体力の温存も含め、多くの発表は避けようという感じになったと思う。今考えてみても、これ以上仕事をしていたら、ぼくの体は持ちこたえていないと思う。

like ants
蟻のような メイン写真

Aさんとの出会いは、この写真だ。「見た事の無いイメージだ!」と、この写真にインパクトを感じたらしく、そこからなんとなく取材が始まった。翌年の個展作品である”Ants”だが、ぼくにとっては不本意な作品であった。というのも、コロナ禍が2020年にはすぐに始まってしまったのだ。実は、その当時ぼくが思い描いていた作品こそが、現在進行させている”Ants+”だったのだ。
「蟻のような」で自己紹介した、蟻のようなぼくが、ぼくと似たような匂いがする人物を探すというストーリーだった。これは、ドキュメンタリーでもあるが、ある意味、「みなしごハッチ」のようなストーリーを持った物語、しかもその先は、作者であるぼく自身も知らないというようなものだった。
この内容が、コロナ禍というものと非常に相性が悪いというのは言うまでもない。
ちなみにハッチはミツバチだったと思うが、蟻はミツバチの派生のような生き物だったりする。同じように社会性を持つが、後から出てきた蟻は、より高度な社会性を持っている。

Ants より

Aさんには、実のところ”Ants”の制作にもけっこう関わってもらっていた。ぼくは悲観的なので、それから「ヤドカリの家」のところまで、けっこう愚痴を言っていた。わりとNHKの批判も述べていたように思う。特にぼくは意識高い系が大嫌いなこともあって、その事に関しては執拗だったかもしれない。
その事もあってか、ぼくは「格言」だけは撮らないでほしいと言っていたと思う。「格言なんてものは、それに任せて物事を考えなくて良いようにする、特に表現にとっては堕落のツールでしかないじゃん。」そんな感じだろうか?
ただ、それは制作側には負担になることも知っていた。というのも、多くの人は”そういうもの”を求めている。今という時代は指標が無く、衰退に向かっているからこそ、「格言」のようなもので安心したい。ただ、ぼくが知っている事を言えば、そんな正しい言葉など無いということだけだ。その言葉だけに乗っかりそれだけを行えば腐敗する。格言にも対立意見が無いと困るのだ。ただ、今はそれを述べる事に関しても、暗黙の了解かのごとく、黙っていなさいという感じになっている。

そういうことを回りくどく考える、ぼくという被写体は、けっこう面倒くさい。

FUNIさんの実家

“Ants+” 最初の被写体は、在日ラッパーのFUNIさんだ。川崎に行った。
実は、FUNIさんとは10年前に会っていて、それは岡山の朝鮮学校だった。とあるアートのイベントがあったのだ。
ぼくは過去、在日にボロクソに殴られた経験があって、嫌いだった。この時、お付き合いで渋々撮影に行ったのだが、ぼくが最初に発した言葉は「ぼくはどちらかと言えば右です。」対するFUNIさんの言葉は「いいね~っ!」だった事を覚えている。

実際のところ、ぼくは左というわけでもない。安倍の敵は皆パヨク!とかいう偽ウヨからすればそうかもしれないが、、ともかく、そういうのと右が上手い具合に運んだのが今の世の中だからだ。正直、ネオリベなんて両者の都合だと思う。リベラルで経済右翼。なんとなく世界が繋がったね。格差凄い事になってるけどね。ともかく、当時のネオリベキャンペーンは凄まじかった。
国境があるから、多様性もある。世界が一緒になるなんて妄想は、冷戦で終わるべきだった。その後の暴走でこの有様だよ・・結局のところ、差別是正の制度だって、上級に上手い具合に使われてて、制度上だけの平等やん。努力?能力なんてものは、生まれそのものだって要素として含まれてる。努力したから偉いとか、そんなの詭弁だね。ボンボンなら、努力しなくてもそこそこ地位あるでしょ?
まぁ、頑張るしかないんだけどね。生きるというのは。

ともかく、この世界は矛盾で溢れている。それに、人権とかも表現においては、ただのトレンドにされがちだ。そんな中で矛盾を抱えつつも、生きることを考えている人が被写体としては良いだろう。
手塚治虫の火の鳥じゃないけど、都の腐敗、そして芸術の腐敗。でも、本人たちは素晴らしいと言っている。そういうのじゃないのが良いんだよ。

「ではない」のが良い。

FUNIさんの入学式の記念写真

FUNIさん宅に入って真っ先に目に入った写真がこれ。どうやらFUNIさんのお母さんが意図的に置いていたらしいが、意味のある写真だ。お母さんの意図だとして、ここに置かれた状況というものを無意識的に最も理解していると言えると思う。
このとき、当然NHKの取材班も来ていたが、この写真には誰も気が付かなかったようだ。
番組では紹介されなかったが、お母さんは、正確には在日というよりは、80年代に本国から来られた方だ。
これを見て、ぼくは何を撮るのか決めたと言って良い。朝鮮半島の民族衣装であるチマチョゴリと、日本の学生服。ある社会の何らかの関係を表した、この家を象徴する良い写真だと思った。
ぼくは、これは非常に重要なものだから撮ったほうが良いと言った。
この時点で、ぼくは色々と頭にめぐり泣けてきてしまっていたのだけど、その後のお母さんの質問攻勢で陥落してしまったのは、番組を見ての通りだ。
人間というのは、まったく異なる境遇、未経験の出来事でも深く共感できる能力を持っているようだ。

Ants+”FUNI” 記念写真 部分

撮影は終わり、帰宅後、一月半におよぶ編集が待っていた。実は、この写真を期限内に編集するのは不可能だと言って跳ねていたが、Aさんの「どうしても」という何度かの押しもあって、なんとかやってみる事にした。
この間、あまりの仕事量に、パートナーもブチ切れ、ぼくもAさんに苦情を述べたりで大変な日々だった。思うに、流れとしては、この番組も作品の中に取り込まれる内容だと位置付けていただけに、それでもこの写真というか画像というか、これが完成して良かったのは確かだ。これが出来上がるプロセスを知ってもらうというのは、ぼくが掲げるテーマとして非常に重要なものだ。実際の提出は、撮影期限の一週間後だったが、編集には間にあった形だ。
番組は、既に放送されたが、Ants+の制作は、始まったばかりと言える。月末には、撮影にも行く予定だ。体力が無いから、進度は遅いと思うが、続けれるかぎりは、このシリーズは続けようと思っている。
これは、「蟻のような」ぼくが、蟻のように同じような匂いのする者を探し記録して編集していくという、ある種の物語だ。そこに、「新しいマイノリティー」の、ある事例のようなもの、誰かがそれを見て考える事ができるようなものを残していきたいと思っている。

2017年ごろまでアニメーション等の映像作家 その過酷さから病気に倒れ、限界を感じた事から、その後写真作家に転身 イメージフォーラム・フェスティバル、バンクーバー国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画際、タンペレ映画祭、キヤノン写真新世紀 LensCulture 等で発表。 写真関連は、初の写真作品で、キヤノン写真新世紀2019年度グランプリ受賞。東京都写真美術館で個展、LensCulture Art Photography Awards 2022 LensCulture Emerging Talent Awards 2023 にて Jurors’ Picksなど NHK ドキュメント20min.「蟻(あり)と人間とぼく アーティスト・中村智道」で紹介される 尚、写真等の無断使用はお断りいたします。一言ご連絡ください。 お仕事のご相談など、気楽に、ご連絡ください。 e_mail:nakamura.tomomichi@gmail.com

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